人種のルツボでカリフォルニア生活 -4ページ目

映画を見に行こう

 2時開演の15分前。6.20.3
150人も収容できない小さな小さな薄暗い劇場に、始めて足を踏み入れた瞬間ちょっと驚いた。

「あんまり期待されてないのかな。」

その小さな劇場を見回してみると、座席は7割程度すでに埋まっていた。正面の席などは空いておらず、10列ある内の前から9列目、つまり後ろから2列目の真ん中辺りにフィアンセと私は、広くて居心地の良い座席に腰を沈めた。そうこうしている内、空いていた席も前の方まで埋まり出した。この劇場内、子供10%、アジア系20%、白人系60%、その他10%といった感じだろうか。日曜日の2時では若い子達は少なく、30代から50代が中心のようである。

さあ、いよいよ開演。“Howl’s Moving Castle”、
ハウルの動く城”の上映開始だ。


       
6.20.1  
 今日はバスを乗り継ぎ、オレンジ市にある「CENTURY STADIUM 25」の映画館まで足をのばした。家を出てから1時間30分。家に近い映画館は色々とあるのだが、ハウルが上映される映画館は限られている為、1番近くてここ、アナハイムスタジアムと目と鼻の先にあるこの映画館に決まったのだ。

6.20.2  前日、Yahoo! Movies でこの映画館の上映スケジュールを調べた。それによると、この映画が1日に上映されるのは11:20、2:00、4:45、7:35、10:20の計5回。バスが日曜日には早く無くなってしまう事を考え、2時のものに決めたのである。外のチケット売り場に設置された電光掲示板で確かめてみる。上から3番目にその名を見つけた。時間も完璧だ。そして、なんとバーゲンの時間帯だった為通常より3ドルほど安く、1人$6.75でチケットを手にいれることが出来た。そう、映画館によってはこういった時間帯が設けられており、週末の夜には少し割高となっているのだ。


 Howl’s Moving Castleは今週の金曜日、17日に封切られたばかりである。宮崎駿の世界はすごく好き。子供時代、ナウシカやラピュタが夜の番組の何とかロードショーなどでよく放送されていた。その子供の時の素直な驚きや、優しい気持ちを思い出させてくれる。不思議な世界。私の大好きな世界。


 上映が始ると皆一斉にシンッとなった。トトロの横顔に日本語で「スタジオ ジブリ」の文字。それが消えるといよいよ始り始まり。

 ため息、驚き、笑い。劇場内は映画と一体化していた。そしてエンドロール、その時、会場内のあちらこちらで拍手が起こった。私達の周りのアメリカ人は口々に、

「前回の作品より良かった。」

とささやく。少し明るくなって、周りを見渡してみればアニメが好きそうなアメリカ人達。どうやら、厳しい目で見ていただろう彼らの心を掴んだようだ。

 アメリカ人より得な事、それは日本語版で見れるという事。まだ日本のビデオ屋さんに入っておらず、今から楽しみである。声も違えば言葉のニュアンスも違うだろう。それにしても、宮崎駿、世界で活躍する日本人。すごい。


             6月20日 00:50

               
                         
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愛情たっぷりハート印の小包

 待ちに待った実家からの小包がやっと昨日、私達の元へと到着した。日本を旅だって約20日ほどがすでに経っていた。これは尋常ではない。通常1週間から10日で届くのだ。実家の母から「荷物送ったよ。」と知らされたのが5月の終わり。なかなか届かず、悪い方向へ考え始めていた私は、やっと手に出来た事に心からホッとした。よかった、無事だった。私は心配している事だろう実家に、すぐ電話を入れたのだった。


 やっと手に入れたこの小包。それまでには、仕事や用事でどうしても抜けられない私の変わりに、フィアンセが一生懸命頑張ってくれた。普段から彼はバスで15分程に在る市の郵便局に度々行く為、そこの職員さんとは顔馴染みだ。たまに同行する私の事も職員さん達は知っていたので、本人を証明する私自身が行かなくとも、何とかなった。

 まず始めに郵便局のクレームデスクへ赴いたのが先週の土曜日。一般の受け付けの方はクローズしていた時間だったが、クレームデスクの受け付けだけは開いていた。しかし、この日はすでにコンピューターが動いていなかった為、荷物の確認が取れなかったのだ。

「経由のタイミングが上手くいかなくて、少し送れてるかもしれないわね。火曜日まで待って届かなかったら、また来て。」

と、顔なじみの職員さんに言われ、帰ってきたのだった。


 そして、結局火曜日まで待っても届かず、翌日再び郵便局へ。仕事の合間を縫って行ってくれたのにもかかわらず、クレームデスクはすでにしまっていた。一般受付で聞いてみると、

「明日だったら、1時から3時に開いてるわよ。」

たった2時間だけって問題やろ!ときっと彼は思った事だろう。

そしてついに昨日の木曜日、4回目の郵便局。そしてやっとたどり着いた荷物の行方は、なんと中央郵便局であった。すでに日本へと返されてしまう所だったのだ。

「6月の4日には届いてたみたいよ。受取人不在でここに10日間ぐらい保管してあったんだけど・・・。取りに来ないから返送しちゃったようね。」

って、私達は不在届を受け取っていないのだ。明らかに郵便局側のミスか、ドアに挟んであって風で飛んでいってしまったかのどちらかだろう。そして、

「本人じゃないけどあなたの事はよく知ってるから。住所も分かってるしね。」

と、番号の付いた書類を渡された。職員さんに今すぐ中央郵便局に行くようにと言われ、慌ててそこを後にした。

 中央の郵便局と言う事は、ロサンゼルス郡とサンディエゴ郡に挟まれた海沿いの我がオレンジ郡にたった1つの存在。クローズの時間が迫っている。バスで行ける訳が無いではないか。と、彼は一瞬焦ったようだが、何の事は無い、私達のアパートを挟んで反対側のサンタアナ市にそれはあるのだ。助かった。バスを待ったり、乗り継ぎで40分程かかったようだが何とか時間内に滑り込み、奪還する事についに成功した。
 
      
6.17

 母と電話で話しながら小包を開いていく。ワクワク、ドキドキ。とても幸せな瞬間。そして飛び出してきた溢れんばかりの日本の食べ物。今までに私がポロッと「欲しいな」と言ったのを母は忘れず覚えていてくれ、私達の事を思いながら選んでくれた数々の品々を詰めれるだけ詰めて送ってくれた。そしてサプライズ、フィアンセと私にそれぞれ靴のプレゼントも添えられていた。家族の愛情がいっぱいいっぱい詰った玉手箱。やっとこの手にする事が出来たのだ。

 母との電話の後、ふと小包のインボイスを見ると総重量が9.195kgと記されていた。これを、この大きくて重たい小包を、郵便局からバスを乗り継ぎ、バス停から抱えて持って歩いて帰ってきてくれた彼を思うと、私は心から‘ありがとう’と感謝せずにはいられなかった。


 
                 6月18日 01:14


                              
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また地震が・・・

 あ、また地震だ。

 私は心の中で叫んだ。今日の午後2時頃の事。小さな揺れから始り、次第にそれが強くなる。約10秒ほど横揺れが続いた。震源地はここから車で3時間ほどであろうか、東の山の方だ。震源地でマグニチュード4.9であった。

 そもそも12日の日曜日の朝、第1発目の地震が来た。遅い朝を向えるつもりでベットの中にいた私は、ふと目を覚ました。8時過ぎ頃の事だ。そして何秒もしないうちにグラッと横にスライドするような揺れがやって来た。そしてそれに伴い、天井がビシッと音を立てたのだ。震源地は今日の所に近く、この日はM5.2であった。

 そして昨日では北部沖の太平洋でM7.2を記録し、私が住むエリア一帯に津波注意報が出ていた。


 カリフォルニアは地震大国ならぬ、地震大州だ。ニュースでやっていたのだが、チリで地震が起こると不思議とカリフォルニアもそれに続く事があるそうである。今日の仕事の帰り、フリーウェーの上を渡る道路を走るバスの中からみた夕日がいつもと違った。車のテールライトのような異様な赤さでいつもより大きい。何だか胸の奥がざわついた。

       
                 
                6月17日 00:33


                            
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ある韓国人家庭の事情2

      6.15

 ニンニクの芽’のキムチ。アメリカでアーミーに入隊したジェイのママ(関連記事 からの頂き物である。もちろん韓国人である彼女の手作りだ。僅かな酸味とピリッと効いた辛さ、そしてニンニクのダブルパンチのごとく、もわーっとガーリックまるかじり、といった感じ。しかも歯ごたえが楽しい。

 ジェイ・ママが旅行から帰ってきたのがこの日曜日の事。先週の木曜日から4日間、彼女はジェイのアーミー学校、基礎クラスの卒業式の為、サウスカロライナ州まで行っていた。ジェイが入隊して1ヶ月がたった頃だろうか、彼はホームシックにかかってしまっていたようだ。しかしそれも最初だけの事、今ではかなりアーミーライフをエンジョイしているらしい。悪ガキだった高校時代、今彼は自分の生きる道を見出せたのかもしれない。卒業後、実家に帰らずそのままメリーランド州に移動。すでにハードな6ヶ月間のトレーニングへと突入した。そしてジェイは銃の整備士として軍人の道を歩み始めたようだ。


 最近ジェイ・パパと話をした。彼のつたない英語はシンプルかつ直接的だ。それでも通じ合えるものがある。同じアジア人、しかもすぐお隣の国、韓国。
なぜ彼らが国を離れ、家族でアメリカに渡ってきたのか、彼は話し始めた。その理由の1つは韓国の徴兵制度だ。なるほど、2人の息子を持つ親にとって大きな問題である。

「韓国に戦争はどこにあるんだ。無いじゃないか。ただ北朝鮮と接しているだけだ。徴兵制度で3年も軍隊に行かなければいけないのは長過ぎる。意味が無い。」

これが彼の考えである。しかし皮肉なもので、国は違えどジェイは自ら入隊を決意した。

 
 サウスカロライナ州から帰ってきたジェイ・ママ。「これ見て。」と財布から1枚の写真を取り出した。そこには迷彩服を身にまとい、アメリカの星条旗を背にし、アサルト・ライフル銃を手にして誇らしげに微笑むジェイがそこにいた。入隊前に見た子供っぽさはもはや無く、1まわりも2まわりも引き締まり、肌は日に焼け、凛と真っ直ぐな瞳が印象的であった。

「会いに行った時、ジェイったら嬉しくて泣いちゃったのよ。」

まだ18歳なのだ。新しい世界に飛び込んでいく事のなんと大変な事だろう。私は20歳で親元を離れた。楽しさの中に寂しさはいつまでも付きまとう。でも帰れる場所があるから頑張れるのだ。ジェイ、逞しく成長した彼に会ってみたいな。


     
                 6月15日 23:46

 
                             
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やった!あった!BBQ

 お昼前、フィアンセと一緒にバス停へとアパートから歩いていると、プワ~ァンとなんとも香ばしい匂いが南西からの風に乗ってやって来た。実はこの香り、期待していたのだ。家の近所のベトナム マーケット、‘サイゴンシティー’の外で昨日もやっていたBBQの実演販売。


 牛肉のサテ、小ぶりでスパイシーな鳥の足、骨付きのプルコギ、ソーセージは2本で、どれでも1ドル。こんなイベントは今までに無く、昨日見つけた時は1日限りかも、と思いつつ2本サテを購入。これだけが初めて目にした食べ物で、味が想像できなかったのだ。サテとはインドネシア料理版、串焼きである。

 アパートに持ちかえり、夕食前だったがたまらずフィアンセの前に差し出した。彼は昔ダイビングでバリに行っていた事があり、近くの屋台で食べた事もあって、これがサテと言う物だと知っていた。バリでの肉はサイコロ肉だったそうだが、どうやら今回のは薄い肉をクルクルっと丸め、何個も串に刺してある、といった感じだ。香ばしい匂いを嗅いでからパクリッ。BBQで焼かれ油が落ち、外はカリッと中はジューシー。甘辛なプルコギの味付けに似ていて、BBQ独特なまろやかな味でなんとも美味しい。1本では物足りない!もっと買っておけばよかった・・・・・・と、後悔したのが昨日の事である。


 今日はそのBBQをやっているか確認してから、近くのフリーマーケットへと出かけた。トイレットペーパーと、インド人のお店でお香を手に入れたその帰り、サイゴンシティーへと立ち寄った。BBQの前は小さな人だかりとなっていた。昨日と同じお店のお姉さんが忙しくお客の対応に追われている。私が手を振ると、向こうも私に気付いたようで手を振り返してくれた。また今日もサテ、これを4本、ソーセージ2本を注文。しめて5ドルである。お姉さんが、大きくて美味しそうな串を選びお皿に乗せていく。1本、2本・・・ん?5本?なんと他の店員さんにばれないよう、素早くオマケをしてくれたのだ。フィアンセと私の心にポッと小さなハッピー。

       6.13.01

 今日のディナーはもちろんサテ&ソーセージが食卓に上る事になった。そこにたっぷりのサラダとお味噌汁、炊き立てのご飯を用意した。週末最後の夕食に2人共大満足。お店のお姉さんによるオマケのスパイスがピリッと効いていた。


         
                                            6月12日 23:15



                             
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