人種のルツボでカリフォルニア生活 -9ページ目

フェスティバル:シンコデマヨ

 太陽が1番高く昇る5.1.05.2
頃、シンコデマヨのフェ スティバル会場は既に多くのメキシコ人で溢れかえっていた。 4thストリートの1角は通行止めにされ、多くの露店が軒を連ねる中陽気なメキシコ音楽やスペイン語があちこちからすごい勢いで飛び込んでくる。ここはまさにメキシコである。
5.1.05.3  露店は食べ物屋さんに始まり、CD屋さん、シルバーアクセサリー屋さんなどメキシコならではという物ばかり。そして色鮮やかなテントの下では、ぬいぐるみを賭け様々なゲーム屋さんが建ち並ぶ。さらに移動遊園地まで街中に存在しバイキングがグワァン、グワァンと風を切りながらスウィングしている。そして突き当りにはステージが設置されており、そこではメキシコ人達による音楽のパフォーマンスが行われていた。それが有名人かどうかは私達には分からなかったが、ステージの前には多くの観客がひしめき合い盛り上がっていた。

 約98%はメキシコ人のこの会場。白人は僅かで黒人は1人として私達は出会わなかった。その他はアジア人である。またそれが異国にやって来たようで楽しく、面白く、のんびりとゆっくりと1軒1軒ブースを周って行った。

 私達が今日ここに遊びに来た目的はデート以外にもう1つある。リルラウのお店、パディーのドリームキャッチャー。(関連記事はコチラ  

 それはすぐに分かった。と言うのも、このお店以外にインディアンの物を取り扱っている所が無いのだ。店先にはドリームキャッチャーが幾つかぶら下がっている。きっとここに違いない。その少し殺風景なお店の奥からジュエリーケースを抱えたまだ10代のような青年、彼は商品を並べ始めた。どうやら準備中らしい。彼の肌の色はパディーに似た白色、そして何より目もとが彼女によく似ている。私達は上からぶら下がったドリームキャッチャーを指差し、値段を聞いてみた。

「大きい方は10ドル、小さいのは5ドルだよ。」

澄んだ薄い灰色の目の青年は笑顔でそう答えた。その笑顔がパディーによく似ている。私は思いきって彼に声をかけた。

「あなたのおばあちゃんの名前ってパディー?」

初対面の私が、神聖な彼のインディアンネームで呼びかけるのは気が引け、そう尋ねてみた。すると彼はいともあっさりと見とめた。少し驚きながら。

「で、バスのドライバーでしょ?!」

彼はまさしくリルラウであった。一緒にいるメキシコ系の女性は彼女か奥さんかは分からない。お店の中はそんな2人のもので構成されていた。ネイティブ アメリカンの大きなトルコ石がはまったシンプルでダイナミックなバングルや指輪などのジュエリー類
。そしてメキシコ調の壁飾りや雑貨。

「1.2.3!」私は写真5.1.05.4
をとらせてもらうべくそう叫んでシャッターを押した。しかし、彼らの笑顔は写し取る事が出来なかった。なぜなら真向かいのCD屋さんのスピーカーから流れ出るメキシコ音楽が、弾丸のように私の声を掻き消したのだ。

 パディーの作ったドリームキャッチャーには既に売れてしまって残念ながら出会えなかった。その代わりリルラウが作ったと言うドリームキャッチャーをフィアンセが私にプレゼントしてくれた。嬉しい。私は透明の袋に入れてくれたドリームキャッチャーの羽を折らないように、そっとカバンの中に仕舞った。

ドリームキャッチャー5.1.05.d
皮の紐がきつく巻かれたリングの部分は地球と太陽系の惑星の軌道を表し、木の皮か動物の腱か何かで編まれているネットの部分は蜘蛛の巣を表す。そこについた1つのビーズは「想像的なエネルギー」を持つ生物と言い伝わる蜘蛛を意味し、悪夢を絡めとリ良い夢のみを羽根に伝わらせ、下に眠る人々に届けると信じられている。


                5月2日 07:58


                                

空の旅

     ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ

 もうすぐ5時になろうかという薄暗い中、コンクリートの上をフィアンセ押す大きなスーツケースの車輪の音が響き渡った。4月14日、イリノイ州への出張に出発だ。

 だがここに来て心配事が1つ。やっと今日電話回線も復旧したのだが、長い間悩まされたインターネットへの接続が前日の夜に突如ストップ。その為、以前サイトで購入した飛行機のEチケットのアカウントナンバーをコピー出来なかったのである。航空会社のカウンターに行っても証明する物を全く持ち合わせていない私達、果たして飛行機に乗ることは出来るのだろうか。

nationals空港 その心配は簡単に、事も無げに解決される事となった。今回初めて利用する事となったアメリカ ウエスト。カウンターの前には何やらコンピューターの機械が並んでいる。何の事は無い、Eチケットを購入したさいのクレジットカードを機械に通し後は行き先を入れるだけ。スーツケースをグランドホステスさんに渡していとも簡単に終了した。2年前にオハイオ州へ行った時を最後に空港には行っていない。いつの間にやら空港も変わったもんだ。あの頃はカウンターの中にはグランドホステスさん達がひしめき合っていたというのに。

 飛行機に乗り込み、今までにないエコノミークラスの座席の広さに驚きつつ、いざ空の旅に出発。

nationals2  離陸
バスを3つ乗り継いやって来たオレンジ郡のジョン・ウェイン空港。朝8時、私達がが暮らす土地を後にした。

nationals3 カリフォルニア州内の山
機体を北に向け、乗り継ぎをするラスベガスへと向かう途中。頂上には今だ雪が薄っすらと残っていた。

nationals4 ネバダ州
少しづつだが確実に赤土へと様変わりしていく大地。荘厳である。

nationals5  ラスベガス
空港で30分の休憩。数台のスロットマシーンが設置されており、係員が1人お金の管理をしている。私達はこの地に10ドルほど落としてまた旅だった。

nationals6  イリノイ州
ラスベガスを発ってから3時間ほど、家を出発して8時間後にイリノイ州はオヘヤ空港に到着した。日曜日までの4日間、芯から冷える風を肌で実感する事となる。空気と水、私が住んでいる所と比べ雲泥の差で美味しい事に日々驚かされた。

nationals7  帰路
お昼過ぎにイリノイ州を後にした。

nationals8  アリゾナ州
帰りの乗り継ぎにアリゾナ州フェニックス空港で30分程休憩。飛行機から通路に出た瞬間のあのモワッっとした暑さがいかにもアリゾナであった。

 午後6時、再び降り立ったジョン・ウェイン空港。スーツケースを受け取り自動ドアを通り抜けタクシーを捕まえるべく外へ出た。乾燥した空気、そしてよく見知った匂いと町並み。

「なんか、落ち着くな。」

フィアンセは私に負担をかけまいとし、いっぱいの荷物とスーツケースを押しづらそうに操り、不安と共に出発したあの朝と同じ音を響かせた。 

    ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ



             4月30日 01:55

ネイティブ アメリカン:パディー

    .。* ゚ + 。・ リルラウ

パディー(関連記事はコチラ
の孫息子、彼のインディアンネームだ。

4.29.05  カメラの前で微笑むパディーが手にしている物。彼女と言葉を交わすきっかけの話題ともなったドリームキャッチャーだ。シンコデマヨ(CINCO DE MAYO)に露店を出す孫息子に頼まれ製作中であった。

 シンコデマヨとは5月5日と言う意味でありメキシコ独立記念日。そのあたりの週末には各地で露店が軒を連ねメキシコの音楽が響き渡りメキシコ人達が大いに盛り上がる大切なお祭りが開催される。

「私が作ればお金を大分セーブできるものね。あー、明日からシンコデマヨだわ。沢山作らないと!大っ変!」

大きなカバンから取り出したプラスティック製のケースを開け、そこにぎっしりと詰まった色とりどりのインディアンビーズの中から次にドリームキャッチャーに通す薄いブルーのビーズを皮の紐に通した。

 言葉とは裏腹にとっても幸せそうなパディー。と言うのもこの孫息子のリルラウ、最近インディアンネームを部族の長老から授かったばかりなのだ。それからというもの自分のルーツに誇りを持ちネイティブアメリカンとしての強い意識がしっかりと芽生えてきたと言う。おばあちゃんからしたら最高に幸せであろう。


 毎年私達のアパートから1番近いシンコデマヨの会場となるのは、SANTA ANAの4thストリート。今年はこの29日から5月1日まで開催される。そしてなんとリルラウはここに店を出すのだ。バスで片道僅か20分。今週末のデートはここに決まりにしようよ。はたして彼のお店は見つけ出せるか。パディーが作るドリームキャッチャー、完成した姿を早く見たい。



             4月29日 00:50


                              

途切れた回線

 イリノイ州に発つ前日、それは起こった。電話回線のトラブルである。

 それからというもの、まるでどこかの孤島で生活しているようだった。イリノイ州に行ってくると言ったきり、日本との連絡も絶たれ、ブログも止まったまま。しかも私達は携帯電話を持たないという世間の流れに逆らった生活。きっと日本の家族はさぞかし心配している事だろう。
 

4.28.05   夕方、誰もいないアパートの部屋に帰ってくると1枚の紙が床の上にひっそりと存在した。フィアンセが書きなぐった丸い文字の置手紙。
(よかった・・・やっとだ・・・!)
そう、ようやく電話回線が復旧したのだ。しかし今はまだインターネットの接続のみ。電話自体が使えるようになるのは金曜日からと言う事だ。いったいどこがどうなってこんな事になったのだろうか。とにかくそれを修理できる技師の数が足らないらしく、たまりにたまっている故障者リストを上から順に修理解決していっていると言う事である。公衆電話から電話会社に連絡し、リストに載せてもらってから8日目の日本との繋がり。そしてブログ再開。

 それにしても長くやきもきした毎日であった。ブログからも遠ざかり、日本の遠さを改めて実感した。早く、何事も無かったかのようないつもの生活に・・・・・。



         4月28日 22:52

ティーンエージャー

4.13.05  バスの中からついデジカメを向けてしまった。線路の上で警察官に事情聴取を受けている4人の少年達。ヒスパニック系の中学生だろうか。いったいどんな悪さをしたのだろう。その様子からはうかがえないが、皆一応に神妙な顔つきである。

 
 
いつも乗るバスの1つは近所の高校に通う学生達とよく乗り合わせ、その殆どが白人系アメリカ人であるる。自然とバスの中の顔ぶれも同じ。その中に半年ほど前からのバス友達がいる。彼女の名はニコール

「前から話してみたいと思ってたんだけど・・・、日本人ですか?」

彼女の方からそう声をかけてきたのがきっかけだった。ニコールは日本のマンガが大好きな16歳。金髪に薄いグレーの瞳をしたアメリカ人である。私が日本の事を話すと面白そうにいつも聞いてくれる。驚く事に彼女の日本の知識の殆どがマンガから培われているのだ。特に学校を舞台にしたようなものは学生の制服をはじめ、まざまざと彼女に習慣の違いを見せつけている事だろう。日本にアニメ留学をしたいのが目下の夢らしい。ちなみに漫画はアメリカでもMANGAと呼ばれ、本の開く向きも同じである。英語に翻訳されているものがどれだけあるかは分からないが、ニコールの見せてくれたものの中にはGTOランマ2分の1 があった。普通に本屋さんで売られているらしい。現在彼女は自動車学校に通い中。まもなく免許を取得するだろう。

 今日バスに乗り込むとニコールの姿が無い。きっとドライビングスクールだろう。学生だらけのバスの中、ふと目の前に座るパンク姿で黒髪の白人の女の子と目が合った。

「ハイ。私ナターシャ。よろしくね。」

すると膝の上に抱えた、学校で作らされたのか画用紙で出来た多面体のオブジェの反対側をクルッと私の方へ向けニッコリと笑った。そこには鉛筆でこう書かれていた。

“ I LOVE ASIANS ”

言葉が無い。声を立てて笑ってしまった。学校で友達が書いたんだという彼女。目の前に座ったアジア人の私。こんな偶然は無いと思った事だろう。

 子供の頃から様々な人種や文化に触れて育って来ただろう彼ら。かたや
単一民族である我々日本人。その先にはどのような違いが出て来るのだろう。


               4月13日 01:02