パウ ワウ(POW WOW) 続き
そろそろ2時を回る頃、儀式が始まろうとしていた。
サークルの周り、テントの辺りでそれぞれの部族の人々も自分達の民族衣装を身に着け現れ始めた。約50人を軽く越すネイティブ アメリカンの数である。モホーク族、ヒューロン族、イエロー ホーク シャイアン族、ナバホ族、ラコタ族、その他多くの部族が参加していた。その姿は写真や映像でしか見た事が無く、私達はかなり衝撃を受ける事となった。
逞しく、美しいネイティブ アメリカン達。長くて細い茶色の羽で、頭や背中から放射線状に広がるように飾り付け、まるで鳥のような部族。鷹の羽を放射線状に腰に付け、頭はモヒカンのように短い羽根で飾ったモホーク族やその他周辺の北の部族。羽根はあまり付けず、大きなトルコ石を至る所にあしらった南の部族。若い女性達はどの部族も余り変わりなく、スカートの部分が銀で出来た小さな円錐系の物でぐるっと1周りぎっしりと覆われたジングルドレスを身に付けていたり、短い丈のポンチョのような物を被り、ショールのような大きな布を肩にまとわせている。男女問わず、足にはビーズで装飾された皮のクツを履いている。子供達は大人のミニチュア版と言った感じだ。
サークルの北西と北東にあたる部分は歌い手の席になっており、それぞれ1つづつ、厚さ約20センチ直径約50センチほどのドラムが木で組まれた台の上に備えられている。そしてそれぞれ6人ほどの男性のネイティブ アメリカン達が、肩が触れるほど密集してドラムを囲うように座っている。その手にはそれぞれ先に綿らしき物がぐるぐると巻かれたドラムスティックを持ち、同じリズムをつむぎ出す。腹の底に直接響く和太鼓と違い、乾いた短い音のドラム。ドン ドン ドン ドン。常に一定のリズムだ。そして抑揚のある、中性的な高い声がリズムを絡めるように会場に響き渡る。
まず始めに春を迎える儀式が厳かに行われた。サークルの東の入り口から太鼓と歌の音に合わせ部族毎次々に連なって列を作り、時計回りに踊りながら現れた。部族によってその踊り方は異なるのだが、皆一応にして太鼓の音に合わせ、片足ずつ大地を力強く踏み鳴らすのは同じだ。男性達の足首に付いた沢山の鈴のガランガランという音と、ジングルドレスのシャランシャランという音が音楽に加わり、なんとも言えない幻想的な音の響きである。初めて目の当たりにした激しさと迫力に圧倒され、心が揺さぶられる感じがした。
そして全ての部族がサークル内に登場し終わると音楽が止み、祈りが始まる。大酋長らしき人物が部族の言葉で祈りを捧げ、補佐役がそれをスペイン語と英語に訳す。4つの方角の神に春の訪れを感謝し、彼らの祖先に自分達が存在する事を感謝した。そのセレモニーの間中、テントの外側からサークル内を覗き込むようにして見ている私達観客は、サングラスと帽子の着用が禁止されている。
厳粛なセレモニーが終わるとまた太鼓と歌が空気を揺らすように会場内に広がっていった。ここから夜遅くまでダンスコンテストが続く事となる。年長者に手を引かれながら登場の小さな子供達のキッズの部、少年の部、少女の部、青年の部、大人の部などがそれぞれ伝統のダンスの部、現代のダンスの部、ジングルドレスの部などに分かれて部族同士が踊りを競うのだ。これは審査員がそれぞれ付いて、細かく審査される。
いよいよリルラウが出場する部が始まった。彼は伝統ダンスの部で北東の部族同士が競い合う。だが彼の敵がいない。伝統の踊りを踊れる者がリルラウしかいないのだ。大地を力強く足で蹴るように踏み鳴らし、腕を鳥のように広げ足を軸に回転したり、体を前屈みにさせたりと激しく踊りながら、サークルを時計回りに舞う。何時しか観客は彼の踊りに魅了されていた。その時1人のネイティブ アメリカンがサークルの中にゆっくりと進み出て、足を前や後ろに蹴り上げるリルラウの足元へとお金を投げる。それにつられるかのように、次々と他の部族からもチップを手にした人々が彼の前へと向かっていく。彼が踊った時間は5分ほどであっただろうか、あっというまの間のように感じた。テントの下で、孫息子を誇らしく見つめるパディーの横顔が少し離れた私達から見えた。彼女の眼差しの向こう、リルラウの両肩には、彼女がバスの中で作っていた装飾品が輝き、成功を祈るパディーの思いのパワーが伝わっているかのようであった。
8時頃、私達はパディーに帰る事を告げに行った。
「私達の文化を分かってくれてありがとう。白人は全然理解してくれないのよ。」
パディーが最後に言ったこの一言が今でも忘れられない。ネイティブ アメリカンの人々の心の奥底には、まだ根強く開拓者へのしこりが残っているのかもしれない。
5月10日 01:27
パウ ワウ(POW WOW)
ドン ドン ドン ドン ドン ドン ドン ドン ドン ドン ドン ドン ドン
曇り空のイースト ロサンジェルス。ネイティブ アメリカン独特の男性の抑揚のある高い歌声が乾いたドラムのリズムをなぞるようにパウ ワウの会場に響き渡る。
パウ ワウとはネイティブ アメリカンの儀式やセレモニーの事である。今回は「春を向かえる儀式」であり、その中にダンスコンテストが盛り込まれていた。集まった部族は10数あまり。遠くはカナダ、中央アメリカそしてアメリカ各地からやって来ているのだ。儀式に参加する部族毎に分かれ、テントを中心を囲むように建て、真中に直径約10数メートルほどのサークルが作られていた。儀式が行われるこのサークルの中は撮影禁止になっている。
会場を見渡してみれば、その人種の比率に驚かされる。約80%がネイティブ アメリカン、その他はメキシコ系、そして黒人、僅かに白人、そしてアジア人は極稀であった。一般のお客さんであるネイティブ アメリカンの人々は「NATIVE」や「赤・黒・黄・白の全ての民族を表す色の円」の柄のT-シャツを着、様々なインディアン ジュエリーや羽を身につけていた。
私はフィアンセからプレゼントしてもらったズニ族のピアス、ナバホ族のバングルと髪飾りを付け、その雰囲気を思う存分楽しむ事にした。
さて、サークル状のテントの周りでは、食べ物屋さんやカゴなどの手作り雑貨屋さん、ネイティブ アメリカンのCDや本やさんなど多くの露店が並んでいる。
お昼を過ぎて到着
した私達、まずは腹ごしらえだ。何やら色々な所からいい匂いが漂ってくる。私達はある1つのテントのお店の前の行列に並んだ。その名もワイルド ホース カフェ : ネイティブ アメリカン フード。どうやら家族総出で切り盛りしているようだ。皆肌が浅黒く、黒髪。大きなターコイズの指輪などのジュエリーを身に付け、男性達は皆髪を伸ばし後ろで1つにまとめている。
ここでインディアン タコを2人共注文した。少し塩味が効いた、香ばしいフワフワの揚げパンにそぼろ状のビーフ、ペーストされたビーンズ、レタス、トマト、オニオン、チーズが乗り、後は自分の好みでタバスコのような辛いソースをかけていただく。1人前、5ドルだ。この揚げパンの部分、チキンラーメン に似た味である。こくのある肉、豆にトマトの酸味や野菜の爽やかさが加わり、シンプルでとても美味しい。1つで充分お腹いっぱいである。
パディーとリルラウにはすぐに会えた。会場に到着し、サークルを囲むテントをの周りを歩いていると、人込みの中から手を振る人。パディーだ。そこはパディーの一家モホーク族のテントの前であった。民族衣装に身を包みパディーはそこにいた。バスで見かける彼女とは違ったWASUNDAYOSTA(参考記事
)の彼女。
親子3代
「よく来てくれたわね。今日は1日楽しんでいきなさい。」
そして家族を紹介してくれた。孫達やリルラウのお母さんである娘。実は彼女もまたオレンジ郡でバスのドライバーをしているのだ。そして立派なネイティブ アメリカンのリルラウがそこにいた。どうやら今から儀式が始まるようだ。皆、少し高揚した緊張感がみなぎっていた。
続く
5月9日 01:45
デートの計画
「よし!土曜日はここに行こう!」
今日も一緒のフィアンセと2人、そろって即決である。きっかけはパディー。いつもの朝、バスの停留所。
その行く先とはインディアン フェスティバルだ。昨日、あの民族衣装のすばらしい装飾品(関連記事 )に魅せられた私達、何時、どこで行われるのか、いったい一般に公開しているのか、今日パディーに聞いてみた。さらっと言われた地名に聞き覚えが無く、丁度持ち合わせていた紙に書いてもらう事にした。時としてお祭りやセレモニーの一般の公開を一切しない事が多いのだが、今回のお祭りは誰でも見に行く事が出来るそうだ。
Belvedere
3rd st
60&710
N 710
EXIT 3RD
GO EAST
EAST L.A.
「Belvedereの町にある3番ストリート、ハイウェイ60号線と710号線が重なる辺り。ここからだと710号線を北に向かうのよ。出口は3番ストリートの標識の所。降りたら東に向かって。すぐ駐車場があるから。そしたらそこに車を止めなさい。ここはEAST L.A.の地区になるわね。」
と、パディーは私の差し出した紙に自分のペンで分かり易く、はっきりと綺麗な文字で書いてくれた。そしてなんとそれが今週の金曜日の夜から日曜日まで続くと言うのだ。
なんと言ってもこのお祭り、パディーの部族であるモホーク族の企画した物。あのジェロニモ で知られるアパッチ族やその他周辺の部族を招待し、踊りを披露するお祭りなのだそうだ。芯となる思いは部族の交流である。なんともすごそうとしか想像できない私、今からその日が待ちきれない。フィアンセも同様である。
毎週月曜日から木曜日までがパディーの仕事の日。今週は明日の木曜日からお休み。昨日の肩の装飾品の仕上げに集中し、パワーを込めるのだそうだ。自慢の孫息子の晴れ舞台。パディーもいつにも増してパワフルである。別れ際、パディーは私達に、
「それじゃあ、向こうで会いましょうね。私も、娘や孫達と行くから向こうでね。あなた達も私のファミリーメンバーよ。」
と言ってくれた。
朝のドーナツ屋さん。フィアンセと向き合っていつもの指定席。自分達でクリームと砂糖で甘くしたコーヒーにドーナツ、彼はハムとチーズが入ったお気に入りの暖かいクロワッサン。仕事までの少しの2人の時間だ。
「土曜日に車を借りて行って来よう!」
フィアンセと2人、デートの計画をした。
5月5日 00:55
パディーの一族
これはネイティブアメリカン・モホーク族のお祭りで踊りを見せる者が身に付ける装飾品である。肩に付ける物らしい。バスの終点で今日も何かを作り続けるパディー(関連記事はコチラ
)。何でも作れてしまう。運転席が〈趣味の部屋〉と言う彼女は今日も幸せそうだ。
「ちょっと、触ってみてもいいですか?」
私は突然それに触れてみたくてついそう言った。
「これはね、セレモニーで身に付ける本人、リルラウ(関連記事はコチラ
)の事なんだけど、彼が触るまで誰も触れてはいけない物なの。でもまだ完成前だからいいわ。」
と言い、パディーはそれを私の方へ向けた。全てビーズで編み込まれ、そこに模様を描き出されている。そしてその下には動物の毛皮が吊るされている。両側にある4色の円状の物は、四季や方角をそれぞれ意味し、また人種も表している。白は白人、黒は黒人、黄色はアジア人、そして赤がネイティブアメリカンであり、人種の融合を意味する。そしてそれを模る円は輪廻転生、魂には終わりが無いと言う事が表されているとパディーが教えてくれた。守り続ける部族の思いと文化、私はその隅っこを少しだけ触った。びっしりと詰まったビーズが指先にぎしぎしと硬い。
「そうそう、そう言えば週末シンコデマヨのフェスティバルに行って来たんだよ。」
と私。ドリームキャッチャーを買ったんだとパディーに言った。パディーは、
「若い男の子がいたでしょ。白い肌の。」
「うんうん」と頷く私。
「それがリルラウよ。私が38歳の時の初孫、自慢の孫息子。」
と言いカバンの中から数枚の写真を見せてくれた。そこにはモホーク族のセレモニーで部族の民族衣装に身を包んだリルラウがいた。彼はダンサーなのだ。明るい緑の緩やかな丘の広場で、色鮮やかなビーズや毛皮、鷹の羽などの装飾品に身を包んだ彼は、逞しく凛々しく見えた。数枚の写真の中にはパディーの一族で写っている物もあり、皆民族衣装を身にまとっていた。迫力に圧倒されてしまう。
「これ見て。」
と言い、パディーは1枚の写真を私に向けた。(あ、あれ?これって・・・。)
「そう、俳優のクリス・タッカーよ。このセレモニーを見に来てたんだけど、あまりにも普通の格好だったから誰も気付かなかったの。そこを私が見つけて一緒に写真を撮ってもらったって訳。」
写真の中には有名な俳優さんの横でリルラウともう2人の孫達、そしてパディーが満面の笑顔で幸せそうに笑っていた。
5月4日 01:22