人種のルツボでカリフォルニア生活
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日系人

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 日系1世Yさんのお庭からやって来た、シソの苗。今日からはこの部屋で、新しい生活。


 私は英語で「シソ」を何と呼ぶか知らない。辞書、辞書、辞書っと。電子辞書を取り出し打ち込む。

      しそ【紫蘇】 a Beefsteak Plant

ビーフステーキ プラント?納得し辛いな。日系のお店でしか売られている所を見た事が無いし、お店の人はそれをシソと呼ぶ。果たしてこの単語はアメリカ人に伝わるのであろうか。気になる。


「いつも頂いてばかりですみません。」

 梅、煮豆、ミカン、トマト・・・・、いつも何かと日本の食べ物をプレゼントしてくれる彼女に、以前私はそう言った事がある。私の母の世代より少し年上のYさん。今にも私の肩をバシバシ叩きそうな勢いで、

「私も若い時はよくこうやって食べ物もらったりして、ずいぶん助かったもんよ。あなたも年取って余裕が出来たら、若い子達に返していきなさい。」

と。大昔に、はるばる日本から渡ってきた人々、逞しい日系人の優しさが、チェーンのように私の所まで渡ってきたような、そんな感動。



                7月26日 23:15


                          

山間のオートスワップミート

 s1  あらら、何だか寂しい会場。車で1時間40分、サンディエゴ郡にあるGrossmont 短期大学で行われたオートスワップミートが昨日の目的地。その気温32℃。山の中、日傘を差しながら乾いた熱風に吹かれて、なんとも気持ちが良い。学校のだだっ広い駐車場を利用しての会場は、ブースの数が50ほどで、そのスペースをもてあましているようである。

 ここで売られている物は、ボンネットを開けてその中のどこかに使われてるんだろうな、と思われる古い車のパーツやとにかく車の1部の物が中心。その他には、様々な車マガジンを扱うお店、ミニカー屋さん、新品のカーパーツを販売するお店、などがテントの下、商品を広げている。

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 片隅で見つけた、まるで馬車のような車。1913年、フォード社製である。両サイドにガス灯のようなランプが2つ。タイヤは細いんだな。さあ、バスケットを取りつけ、いざピクニックに出発、そんな感じ。ミュージアムなどに展示されているならともかく、こんな炎天下の下で見られてちょっと感動。

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 暑い、とにかく暑い。フィアンセは30年代のトラックを自分で作るんだ!を目標に、オイルに塗れたエンジンパーツ探しに夢中だ。プラモデル感覚なのかな。のんきにそんな事を考えながら、ふと目線を感じた。店番をするご主人様の車の下で、日影で涼むハスキー犬。そして見詰め合う私達。

(お互い、彼の行く所っていつも暑いね。)

ニッコリ笑った気がした。


           
               7月26日 00:15



                                            

テロそして中近東系移民

 イギリスでのおぞましい多発テロにより、またアメリカ国内での危険度レベルがオレンジになった。最大危険度「赤」の、たった1ランク下。悪い奴らと全く関係の無い、アメリカで暮らす中近東系の人々がまた、居心地の悪さを感じているかもしれない。


 911のテロの次の日、トルコ人の友達が、彼らにとっては男の象徴である、立派にたくわえた口ひげをすっかっりおとしてきた。彼の実家はモスクであり、彼自身もイスラム教を崇拝していた。そんな彼は、

「テロリストと間違えられたら嫌だからね。」

と悲しく笑っていた。

 あの同時多発テロから1年もたたない内、イラク戦争が始まって間も無い頃、オハイオ州はシンシナティー市へ彼の仕事で一緒に行った事がある。そこで乗ったタクシーの運転手はパキスタン人。バックミラーに「PAKISTAN」と刷られたCDのような物がかけてあった。それは、彼がイラク人ではない事を、無言で訴えかけているかのように感じた。

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 今年の4月には、イリノイ州からの帰り、ジョアナが働く空港からアパートまでのタクシーの中。何も話しかけてこない運転手さんの車内に備えられているライセンスを、何気に見ていた私。彼の名前が発音できそうにない。日に焼けた肌に派手なサングラスをかけ、勝手にメキシコ人だとばかり思っていた私だったが、名前からして明らかに中南米系では無さそうである。

「お国はどちらですか?」

「アフガニスタン・・・」

すぐには言葉が見つからなかった。いい国だね、や、綺麗な国だよね、とか何も出てこなかった。あまりにもメディアからの影響が大きく、アフガニスタンのイメージに気の効いた言葉さえ見つからなかったのだ。運転手さんとフィアンセ、そして私は「えへへ・・」とはにかみ合う事しか出来なかった。そして、それからは陽気で元気なおじさんへと変わった運転手さん。生まれて初めて出会ったアフガニスタン人の彼によって、報道以外で感じる事が出来たその国のイメージ。明るい人々
のイメージ。


 今・・・・飛びこんできたニュース。テロ、今度はエジプトですか?まだ続くのですか?いつまで続くのですか?平和とは手に入れられないものなのなのですか?


    
              7月23日 1:10


                             

ジョアナ、元気?

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 また今日もジョアナ(前回記事 )はバスに乗っては来なかった。かれこれ3週間がたつ。ボーイフレンドといつも仲良く、笑顔一杯の彼女がバスから居なくなり、心にぽっかり間の抜けた帰り道。


 「あのカップル最近見ないね。」

そう私に話しかけてきたのは黒人のトーマス。ジョアナ達の事を言っているのである。不動産屋さんで働く彼とは、半年ほど前からの顔なじみだ。ここ1週間ほどでよく話すようになった。大きな体に牛乳瓶の底のようなメガネがご愛嬌。

 「最後に私が見た時、彼女の方、体の調子が悪そうだったんだー。大丈夫かなぁ。」

と言う私に、トーマスも心配そう。


 何はともあれ、ジョアナはどうしてしまったんだろう。実はお孫さんまでいるおばあちゃんだった彼女。朝、6時のバスに乗り、帰りは9時近くに帰宅の毎日。そういえば疲れた疲れたと口にする事が多かった。それにしても、最後に体調が悪そうにしていたのがどうにも気になる。日増しに暑さが厳しくなってきたこの頃、元気でいて・・・と願うことしかできない。




                7月21日 0:21



                              


                              

幸運な1日

「1ドル見ぃ~っけ!」

突然傍らにいたフィアンセが、道路に落ちていた1ドル札を拾い上げた。土曜日の朝、レンタカーを借りに行く為、バス停へと歩いていた道の上の出来事である。デートの始まり、なんか良い1日が始まりそう。

 インド人がオーナーの行き付けのAVISで車を借り、いざ出発。この日も3ランクほど上の車を貸してくれた。いつも1番下のクラスの値段で、時にはすごい車を貸してくれる彼ら。いつも笑顔で送って、笑顔で向えてくれる、明るい夫婦のレンタカー屋さん。

 フリーウェーへと向う途中、朝食にと馴染みのドーナツ屋さんへと立ち寄った。私達はコーヒーをすすりながら、彼は1番のお気に入りのハム&チーズ入りクロワッサン、私はクルミ&ココナッツ入りマフィンで1息ついた。ホッと落ち着くひととき。コーヒー1杯は、オーナーであるダラさんのお姉さんからのサービスだ。

m1  さてこの日、向かう先は家から車で20分程の所にある、日本でもお馴染みのMOONEYES、その本店。そこで行われたオープンハウスBBQパーティーである。お店に乗り付けられるカスタムカーが楽しみだ。
 到着した頃には、m2
お店の敷地内やその周辺の道端には、多くのカスタムカーが並び人々がアリのように群がっていた。そしてロカビリーバンドの「Hot Rod Trio」が、ファイヤーパターンの楽器をかき鳴らしながら会場をさらに盛り上げる。カーショー独特の雰囲気。

 あるブースの前で私達は足を止めた。ピンストライパーの2人が、お客さんからの依頼でサングラスにピンストライプを施しているのだ。

「VON HOT RODや。日本のロウブロウアートのショーにも招待された事がある、有名なピンストライパーやよ。」

私は彼の手元に釘付けになった。細い筆先から描き出すそれは、神業のよう。

「私もしてもらいたい!」

「カメラにしてもらったら?」

 m4 私の愛用のカメラ。3年前の誕生日にフィアンセがプレゼントしてくれたものだ。ブログで大活躍中のデジカメ。
VON HOT ROD氏は快く引き受けてくれ、m5 色も彼任せ。彼は数秒カメラを眺め、そして一気に筆を走らせ始めた。
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そして出来あがったのがコチラ。1番下にハートがさりげなく入った、世界に1台のデジカメ。嬉しい。カッコイイ。ありがとう。

 フィアンセにもすごく幸運な出来事があった。それは屋根付きのガレージで行われていたフォトギャラリーを覗いた時である。壁中に並んだ、数々のカスタムカーの写真。その中に彼がいつも愛読している日本の車のある雑誌で、1番気に入っていた写真がそこに飾られていたのだ。

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カメラマンのZAP TESHIMA氏。本人のギャラリーであったのだ。実は以前のカーショー等で私達を見かけて覚えて下さっていた。ここでアメリカで活躍する日本人に出会えたのだ。そしてフィアンセが見つけたその1枚の写真、それをなんとわざわざ現像していただけるらしい。同じオレンジ郡で暮らすZAPさん。ギャラリーで店番をする傍ら、外に飛び出だし急いで車の写真を撮り、またギャラリーへと飛んで行く。自信に溢れた素敵な49歳、気さくな少年のような方。


 この日は色々な幸運に恵まれていた。全ては朝の道端で拾った1ドル札から始まった。不思議な1日。幸運な土曜日。


  
               7月18日 11:17


                                                                   

 
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